東京都内湾での
約50年ぶりの海水浴復活
NPO法人ふるさと東京を考える実行委員会 理事長 関口雄三
●私を育てた東京湾
東京都内湾から「海水浴場」がなくなって早や半世紀が経ってしまいました。
私の生まれは、東京湾奥の葛西です。そこは半農半漁の村、主要な産業は「海苔養殖」。私の生まれた家も「海苔養殖」と「農業」をやっていて、子供の頃はよく手伝わされたものです。近所の子供たちも皆、働き手として学校に行く前に「あさりの行商」などをしていました。私も父親のベカ舟を借り、ゴカイを掘り、釣り人を舟に乗せ、自ら櫂を使って案内するという小遣い稼ぎをやったりしていました。
私は自然の中で育ってきました。潮が満ちた時は泳ぎ、潮が引いたときは、潮干狩りや野球をしたものです。そうしたなかで、「自分の身は自分で守れ」、さらには「自分のふるさとは自分で守れ」ということを体得したように思います。
そんな葛西の海も昭和30年代の高度経済成長期になるとどんどんと汚れていき、昭和37年には東京都内湾の漁業権が一斉に放棄されてしまいました。「漁師がいなくなると海はダメになる」というのが私の体験からくる信念ですが、漁業権放棄後は、さらに海は汚くなり、海水浴場も消滅してしまいました。
●約50年ぶりの海水浴復活までの道のり
私は、私達の時代に失ったものは私達の時代に取り戻し、次世代につなげるべきと考えており、東京都内湾の海水浴の復活に向け行動を起こすこととしました。「海水浴ができる東京湾を取り戻す」ことは「東京湾を再生させる」ことであり、それによって「東京湾が豊かに」なり「漁業が盛んになる」ことでもあります。しかも「豊かな海」があれば、それがある限り、漁師が世代を超えて生活でき、地域社会が成立することにつながります。つまり、「豊かな海」は、自立した地域を再生するために「かけがいのない場所」なのです。
1977年に東京都内湾の海水浴の復活に向けた行動を開始してから約40 年が経過しました。何事に付け、「失ってから取り戻すのは大変な労力が必要」となります。私達は様々な紆余曲折を経て、2012年夏、地元の葛西海浜公園で2日間だけ、海水浴を行う事ができ、これをきっかけに東京都の「遊泳禁止」看板の文言が、「許可なき遊泳禁止」に変更され、現在は夏休み期間中、毎日海水浴を行い、約5万人が海水浴を楽しむまでになっています。
私は、将来、東京湾のどこでも自由に泳げるようになることを目指し、活動して参ります。
■海水浴復活までの経過
東京湾憲章期(1977年〜2000年)東京湾憲章期(1977年〜2000年)
・都議会で「東京湾憲章」採択
ムーブメント創出・水質浄化技術開発期(2001年〜2007年)
2001年 ・ふるさと東京を考える実行委員会発足(任意団体)
・ふるさと東京を考える環境フォーラム開催
・東京湾をきれいにする10万人署名活動開始
2003年 ・東京湾NPO・市民ネットワークフォーラム開催
2006年 ・2万人の署名を兵藤茂政東京都知事政務担当特別秘書に提出
2007年 ・マリンガーデニングによる新左近川部分浄化実験に成功
東京湾海水浴場復活プロジェクト期(2008年〜)
2008年度 ・東京湾海水浴場復活プロジェクト発表
2009年度 ・海水浴場復活シンポジウム開催
・葛西海浜公園西なぎさ水質浄化実験開始 ( 東京都港湾局と協働)
2010年度 ・里海体験イベント実施
・葛西海浜公園西なぎさ水質浄化実験実施 ( 東京都港湾局と協働)
2011年度 ・里海まつり実施
・葛西海浜公園西なぎさ水質浄化施設完成 ( 東京都港湾局と協働)
2012年度 ・里海まつりで「海水浴」を2日実施(顔つけ禁止)
・立て看板の「遊泳禁止」の文言を「許可なき遊泳は禁止する」に変更
2013年度 ・夏休み期間中の土日(13日間)の海水浴を実施
2014年度 ・社会実験として当会主催で夏休み期間20日間の海水浴を実施
・東京都の長期計画において、2016年に葛西海浜公園で海水浴実施が明文化される。
2015年度 ・当会を主催とし、東京都、東京都公園協会が事業連携して
「葛西海浜公園海水浴社会実験」を20日間実施 (顔つけ可能)
2016年度 ・当会を主催とし、東京都、東京都公園協会が事業連携して「葛西海浜公園海水浴体験」を実施
( 遊泳ゾーンを西なぎさ全面に拡大、33日間の海水浴)
2017年度 ・当会を主催とし、東京都、東京都公園協会が事業連携して「葛西海浜公園海水浴体験」を実施
(35日間の海水浴)
2018年度 ・当会を中心として東京都、東京都公園協会が一丸となって「葛西海浜公園海水浴体験」を実施
(42日間の海水浴)
2019年度 ・当会を中心として東京都、同公園協会が一丸となって「葛西海浜公園海水浴体験」を実施
(42日間の海水浴 約5万人が参加)